2004年02月25日
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自衛隊で割腹自殺した右翼作家、三島由紀夫がこともあろうにアメリカの文化の象徴的なディズニーランドに執着していた、という意外性?

Written By: 川俣 晶連絡先

 これを書いている今、午前2時で、眠くて朦朧としています。しかし、あまりに意外で面白かったのでメモっておきます。

 サブカルチャー文学論(入手編)という本を読んでいましたが、実に面白い記述に出くわしました。

 作家の三島由紀夫という人がいました。有名な人で名前は知っていますが、私から見れば時代的に過去の人です。世の中を自覚的に見始めたときには、既に死んでいた人ですから。

 そのイメージはというと、自衛隊で割腹自殺した右翼、というようなものでした。

 しかし、この本では、この三島由紀夫が、アメリカ旅行の際、ディズニーランドに立ち寄って、これにいたく感心しているらしいのです。

 ディズニーランドといえば、堕落したアメリカ帝国主義文化侵略の象徴。当然、右翼なら諸手を挙げて喜んだりはしない性質のものだと思います。本当にそうかどうか分かりませんが、そんなイメージがあります。

 しかし、三島由紀夫は「ここの色彩も衣装も、いささかの見物的な侘びしさを持たず、いい趣味の商業美術の平均的気品に充ち、どんな感受性にも素直に受け入れられるやうにできてゐる」というように、肯定的に受け止めてしまうようですね。

 更に面白いことは、「どんな感受性にも素直に受け入れられる」という表現をしていることです。これは、マスマーケットに対する表現を考える上で重要な価値観を書いているように見えます。典型的な右翼であれば、こういう表現は取らないように思います。おそらく、「どんな感受性」も無く、感受性は1つの正しいあるべきものに統一されねばならないと思います。まあ、これも私のイメージであって、本当にそうかどうかは知りませんが。

 つまり、三島由紀夫という文学者についてのイメージを塗り替えるような新鮮な驚きを感じさせてくれたわけです。

 これは、以前、斎藤環氏が石原慎太郎氏と対談した雑誌記事を読んだときと同じような驚きです。このときは、石原慎太郎という人物が単なる世間からずれた右翼オヤジではないことが分かって面白いと思いました。それと同じように、三島由紀夫もイメージ通りではないということのようですね。

 たぶん、二人とも、どんな世間の思想的グループに属するものでもなく、独自のオリジナルな思想の持ち主なのでしょう。それゆえに、右翼的な言動が見られても、本物の右翼と相容れるものではないのでしょう。たぶん。しかし、世間は相容れるかのように見る視線を作ってしまったと。そんなことかもしれません。

 さて、こういう事例を見ると、文学者というのは面白いと思います。

 こういう感覚は、田端文士村記念館に行ったり世田谷文学館に行ったりすることでも感じたことですが、ことさら喜んで日本文学を読みたいとは思わないものの、文学者の生き様にはいろいろと興味を引かれるところがあります。